今朝は月に一度のカウンセリングの日だった。
なぜ僕が人の優しさに怖さを感じるのかについて掘り下げた。
会社で発達障害のカミングアウトをして、
合理的な配慮を得られるようになり、
うまく喋れない僕を飲みに誘ってくれる人がいたり、
ありがたいのに僕は優しさが怖くなり断ってしまう。
理由に気がついた。
僕は、攻撃性はないし、積極的な悪事は働かないけれど、
人が好意や優しさを示してくれた時、
緘黙症と失感情症のある僕は好意や感謝を表現したり、お返しをすることができず、
好意を受け取らない、返さない、
という「消極的な失礼」を重ねてきている。
だから、初めは優しく接してくれた人たちから、
僕は段々と嫌われていく。
「人の積極的な優しさ」は「僕の消極的な失礼」が露呈するきっかけで、
それはつまり僕が嫌われるきっかけで。
だから、僕は人が優しく接して来てくれると、嫌われていく未来を想像して、怖くなっていたんだ、
ということが分かった。
うまく話せないのが僕、そういう認識で受け止めてもらうのはどう?とも提案してくれたけれど、
僕の職場は仕事柄、コミュニケーションが求められるため、
なかなかその「できない」をアイデンティティとして認めてもらうことは難しい、と伝えた。
そこでこれからは、
具体的なコミュニケーションに困りを感じる場面をカウンセラーさんに伝え、
どう返すのがよいか、一緒に考えることにした。
ただ、ASD対策によく言われる、
一対一対応の質疑回答を覚えていく、
だけではなく、自分の気持ちとズレのない回答をできたらしたい、と伝えた。
「失感情症も寛解しつつあるし、いいと思う、そういう回答のストックを増やしていって、コミュニケーションが楽になるか、試してみよう。」
そう言ってくれた。
よし、これからはコミュニケーションの具体的な取り組みにかかる。
僕は僕の抱えるASDにも向き合っていく。
とても難しいことだとは思うが、
すこしずつはできるようになっている。
まだ諦めない。すこしずつ、やっていく。
記録を残しておくと、
すこしずつできるようになっていくことに気がつけるなー。
すこしずつできていく、この感覚は楽しい。
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