2023-10

かめたのコツコツ発達日記

230916_みんなができて当たり前、その考えが、何かが違うのかもしれない

僕は先週、会社で発達障害を抱える僕の困難について、先輩に説明をした。 どうしても、努めても努めてもできないことがあって、 それでも僕はできるようになりたくて、 それでもなかなかできなくて、 話しながら涙がでてしまったけれど、なんとかそう伝えた。 アニキ先輩は言った。 「おれは完璧主義でさ、 自分が何かできないことに直面するとほんっとうに腹が立つんだよね。 かめた君が想像するよりも遥かに自分にブチギレてるから、引くと思う笑 けれど、できて当たり前、その考え方がもう何か違うんだろうな。 かめた君の話を聞いてね、なんかね、そう考えたよ。」 アニキ先輩はそう言ってくれた その日の前日、 僕は周りから見ても明らかに頭が回らない様子だったから、先輩の優しさに甘えて定時ですぐに帰り、早めに寝た。 アニキ先輩はそのことにも触れて、 「昨日さ、定時ですぐ帰るようにって言ったじゃん?それでもかめた君が早く帰って休まなかったら、おれ怒っちゃってたもしれないわ笑」 笑いながら言ったから、 冗談も含んだ内容だと僕は理解し、 「ありがとうございます。それなら早く帰ってやっぱりよかったです。笑」と なんとか笑いながら返せた。 人に利用され、いじめられ、除け者にされ、 そういう経験しかしてこなかったから 人の優しさや配慮はどう受け取ったらいいものなのか、悩む 優しさをそのままに受け取っていいのだろうか? 裏の意では僕をどう思っているのか? そう考えてしまう。 そんな僕なのに、 アニキ先輩の言葉を疑うことはできたりしない。 先輩は裏の意を込めないし、緘黙気味な僕に話しかけ続けてくれている、 そんな人を疑えたりは、僕も流石にできたりしない。 有難いな。 人と違うからと除け者にされ続けた僕を、 僕を、僕を受け入れてくれるところがこの世にはあるのかもな。 つらくても、諦めないでよかったな。 何度も全てをやめてしまいたくなったけど、 生きるのをやめないで、よかったな。
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230916_発達障害は社会性の学習障害なのだと、そう思う。

発達障害は社会性の学習障害という側面もあるのだろうな。 多くの人が無意識に身につけ扱う社会性を、 僕は、 無意識には身につけられないし、 無意識には扱うことができない。 でも、きっと僕なりの社会性の学び方はあるのだと、そう信じている。 僕の場合は、文章化できたものは、理解はできる。 だから、僕は文章化して理解をする。 文章化したものを読み直して、 「反射」で対応をできるようにしていく。 それは、 多くの人が行う「無意識」に見た目は近いかもしれないけれど、とても遠い感覚。 手間はかかる。自然ではない。 だけれども僕はその「反射」を試してみようと思う。 いつかの僕のために、 僕はまだ、僕の限界を決めないでいようと思う。 今はまだ苦しくとも、 僕が生きている間に、その「いつか」は来るのかもしれないのだから。
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230916_光の過敏対策のサングラス、それをかけたまま友人と会う

今日、僕は友だちと会ってきた。 サングラスをかけたまま、会うことを決めていた。 今までだったら光の過敏対策のためにつけているサングラスも、 友人と会う時にはつい外してしまったと思う。 僕は僕の抱える障害を隠そうとしたと思う。 でも今日は、サングラスをかけていた方が楽だからかける、それだけのこと。 自分が我慢したら相手に余計なことを考えさせないで済む、 そんな理由で今までだったら体に無理をさせていただろうな。 僕はもう、そんなことはしない。 自分のために、そんなことはしない。 僕の友だちは、僕の発達障害を聞いても付き合いを変えないでいてくれる人で、 僕のサングラスを見て、 いいじゃん笑、とそう言ってくれた。 僕は、いいんだよなー笑、と返した。 実は光の過敏もあってさ、 そんなことすら友だちにはもう言わなかった。 僕は発達障害のカミングアウト済みの友人に対して、 光の過敏も抱えてることについて、 カミングアウトができなかったわけじゃない。 何を言っても、何があっても受け入れられるなら、 これ以上の説明はもはやしなくていい、 そう思ったから、それ以上はもう何も言わなかった。 僕が光の過敏があろうがなかろうが、 友だちは僕と変わらず接してくれる、 そう思ったから、なんの説明もしなかった。 その日は2人で学生の時みたいにデザインの話をした。 僕は楽しく、幸せだった。
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230916_僕がなぜ人の優しさに怖さを感じるのか、それが分かった

今朝は月に一度のカウンセリングの日だった。 なぜ僕が人の優しさに怖さを感じるのかについて掘り下げた。 会社で発達障害のカミングアウトをして、 合理的な配慮を得られるようになり、 うまく喋れない僕を飲みに誘ってくれる人がいたり、 ありがたいのに僕は優しさが怖くなり断ってしまう。 理由に気がついた。 僕は、攻撃性はないし、積極的な悪事は働かないけれど、 人が好意や優しさを示してくれた時、 緘黙症と失感情症のある僕は好意や感謝を表現したり、お返しをすることができず、 好意を受け取らない、返さない、 という「消極的な失礼」を重ねてきている。 だから、初めは優しく接してくれた人たちから、 僕は段々と嫌われていく。 「人の積極的な優しさ」は「僕の消極的な失礼」が露呈するきっかけで、 それはつまり僕が嫌われるきっかけで。 だから、僕は人が優しく接して来てくれると、嫌われていく未来を想像して、怖くなっていたんだ、 ということが分かった。 うまく話せないのが僕、そういう認識で受け止めてもらうのはどう?とも提案してくれたけれど、 僕の職場は仕事柄、コミュニケーションが求められるため、 なかなかその「できない」をアイデンティティとして認めてもらうことは難しい、と伝えた。 そこでこれからは、 具体的なコミュニケーションに困りを感じる場面をカウンセラーさんに伝え、 どう返すのがよいか、一緒に考えることにした。 ただ、ASD対策によく言われる、 一対一対応の質疑回答を覚えていく、 だけではなく、自分の気持ちとズレのない回答をできたらしたい、と伝えた。 「失感情症も寛解しつつあるし、いいと思う、そういう回答のストックを増やしていって、コミュニケーションが楽になるか、試してみよう。」 そう言ってくれた。 よし、これからはコミュニケーションの具体的な取り組みにかかる。 僕は僕の抱えるASDにも向き合っていく。 とても難しいことだとは思うが、 すこしずつはできるようになっている。 まだ諦めない。すこしずつ、やっていく。 記録を残しておくと、 すこしずつできるようになっていくことに気がつけるなー。 すこしずつできていく、この感覚は楽しい。
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230916_無理して働かず休む、それが後輩のためになる、こともある

今週の金曜、会社で後輩が泣いていた。 週の初めから風邪気味で咳き込んでいたりはして、 周りも心配して声をかけていたけれど、 「病院行きましたがコロナではなかったです、大丈夫です。」 とそう言って働き続けていた。 明らかに、金曜日には悪化していた。 金曜の朝、挨拶をしても会釈を返してくれるだけで、 あれ?いつもは元気なのに今日はほんとに調子悪そう。 そう思った。 今日はもう帰りな、そうみんなが言っても、 CGをつくる手を止めなかった後輩は、 涙を流しはじめた。 そんな様子をアニキ先輩が気にかけて、 「今日は帰りな。今日が締め切りで、明日から夏休みを取るから気が引けてるのかもしれないけど、無理せず帰って今日は休んでいいよ。できない時は他のみんなでやるからさ、な!かめた君やるよな!笑」 僕はその日は仕事が少なかったし、いつもは助けてもらってるから むしろそういう機会はありがたい 「はい、全然やっておきますよ。」 とだけ返した。 泣きながら帰り支度をする後輩を、 アパレル先輩は、駅まで一緒に行きますね、とついて行ってあげていた。 喉がつらそうに、すみません、と言う後輩に、 僕は精いっぱい「気にしないで」と伝えたくて、 でもすぐには言葉が出なかったから、 できる限りの優しい顔で笑いながら首を横に振ってから、頷いた。 その後、アニキ先輩と会話をした。 「せっかくの夏休みの旅行に響いたらかわいそうだもんな。つらかったら言って休めばいいのにな?」 「昨日よりもつらそうでしたもんね。ほんと、言ってもいいのに、ですよね。」 と返すと、 「いや、かめた君も抱え込むじゃん!笑」 と突っ込まれて、僕は、いやぁ、と言いながら笑った。 アパレル先輩が事務所に戻ってくると、 「後輩さんが休みやすくするためにかめた君も休まなきゃ。」 と、僕はそう言われた。 僕が無理して働くから、 後輩も僕を見て無理をしてしまったのかな、と気がついた。 無理をせずに休む方が、人のためになることもあるんだな。 というか、 最近、昨日のことをよく思い出せてるようになってきている気がする。 記憶力がついてきてるのではないだろうか、これ? 気のせいかな? 日々を思い返して投稿すると、 エピソード記憶の思い出しができるようになるのかも、しれないな。 これ、は大きな気づきだ。
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230916_僕の考える、発達障害の受容とその先について

発達障害と診断された時 僕のできないには理由があったんだ、 と安心したのを覚えている。 それから服薬もして、生活のしやすいように工夫もして、 それでもどうしてもできるようにならないことに向きあい、 自分には限界があるのだと落ち込んだ。 ここまでが発達障害の需要、今まではそう考えていた。 発達障害の受容には、きっとまだ先がある。 発達障害の診断をもらい、できない自分を許し、 医療の補助を借りて特性を和らげ、できる限りをできるようにして、 そこから、きっとまだ先がある。 僕は今、その段階にいるのだと思う。 休日の朝に起きることができるようになり、 活動時間が伸びてきて、思う。 僕は僕の発達障害を受け入れている。 けれど、僕は僕の「できる」を諦めてはいない。 これから先、僕は僕なりの「できる」ところを探し、活かしていく段階に移るのだと思う。 それには、僕は僕のASDと向き合うことが必須となる。 直接的な困りだった、ADHD由来の脳内多動は、薬が抑えてくれた。 生活は、ぐんとしやすくなった。 それでも、対応する薬の無いASDの特性は必ず残る。 それに落胆していたこともあった。 うつ病と診断されながらも歯を食いしばり大学受験を続けられたのも、 大学に入りうつが悪化し精神科に入院し留年しつつも大学を卒業できたのも、 以前に入った会社がブラックで平日は週2日徹夜で土日も勤務有りでも耐えられたのも、 それでも僕が生き続けられたのは、 生きるための粘りつよさをくれたのは、 きっと僕のASDなのだと思っている。 粘りづよさ、ルーティンを守ることの心地よさ。 ASDがくれているものも必ずあるから、 僕は僕の活かせるものは活かしていこうと思う。 発達障害と診断され、自らを許し、 服薬し改善しつつも、何かを諦め、 僕はようやく僕の得意に向き合う段階にきた。 自らを発達障害を受容することは、 決して「諦める」ことだけではない、 そう、僕は思いたい。 そう、いつか思えるように、 今はつらくてもすこしの無理をして前を向く。 僕は幸せになりたいから。 発達障害を理由に、諦めたくなんてないから。 余裕のある毎日を過ごせる僕に、いつかなれる。 その「いつか」を信じて諦めない。 前向きに、具体的に、僕は動く。 僕は僕の発達障害を活かしたい。 振り回されっぱなしじゃ割にあわないもの。 まだ、諦めない。
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230915_来週から発達障害に対しての具体的な配慮を受けることが、突然に決まった

僕は、会社に発達障害をカミングアウトしている。 来週から具体的な配慮を受けることが、突然に決まった。 ADHDとASDを抱える僕は以前から、 作業整理ができずに抱え込み徹夜して終わらせる、 など、体に無理をさせてなんとか間に合わせようとしたり、 それでいて体調をわるくするから、 社長を不安にさせている。 もっとSOSを出すように、社長から、指摘を受けていた。 無理して仕事も抱えなくていい、 無理して体調不良のまま働かなくていい、 そう言われてもSOSを出さない僕に、 アニキ先輩は、怒るのではなく、 どうして思ったことを言わないのか? と、気にかけて聞いてくれた。 先輩の質問は優しさからだったから、 言葉でうまくまとめられないことがあること 自己との乖離があり疲れにも鈍感であることも伝えた そのことがあったからだろう、アニキ先輩は僕に、 「来週から、毎週月曜日に今週行う作業の報告をしてくれる?その時に、今抱えている懸念点についても話してほしい。」 これがさ、ASDも抱える僕には、 まさに本当にありがたい配慮なんだ。 報告してね、と言われても、 いつするのが適切なのかが掴めない、 どの程度からがSOSを出すべきかが掴めない、 そんな僕に、明確に、 「毎週月曜」に「今週行う作業」と「抱えている懸念点」を「報告するよう」言ってくれた。 伝えるタイミングが明確で 何より苦手な作業整理を一緒にしてくれて SOSまで行かなくても懸念するぐらいの段階で伝えていいのだ、と程度も分かりやすい。 「報告してもいいよ。」だと迷惑をかけてしまうから、報告はしない方がいいのかも、と考えてしまい。 僕は解釈を誤り遠慮をして報告をやめてしまう。 「報告するように」と必ずすると決まっていると、やりやすい。 こんなに有難い配慮は他にない。 しかもさ、アニキ先輩、 僕が作業整理ができないから、って言い方ではなくさ、 「おれがかめた君が今週何するか忘れて何回も聞くのが申し訳ないから、毎週報告してくれる?」 と、僕の障害への配慮だよ、とは言わない優しい伝え方で、 僕の抱える障害への配慮をしてくださった。 有り難さしかない。 アニキ先輩の配慮に報いるためにも 体に無理をさせずに、ここで勤めようと思う 本当に、有り難いな。 一体どうしてこんなに優しい配慮ができるのだろう。 僕ほど手間のかかる後輩って今までいなかっただろうなー。 それでもまだ、見放される感覚があまりない。 今まで勤めてきた会社では、 いつ、何かこいつは人と違う、とバレて、 いつクビにされるのだろう、 と毎日びくびくしながら出社をしていた。 見放されないかもしれない、 そんな経験をはじめてしている。 誰とでも、上下となく対等に接する、 そんなアニキ先輩だからなのだろうな。 僕もいつかは、そんな人になりたいな。 かっこいいなー。 僕も、いつかだけどさ、 あんな風にかっこいい人になりたいな。
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230915_低血糖症対策に食事を再検討する

最近の主食は白米ではなく、 鶏胸肉やレタス、玉ねぎやブロッコリー、 きのこに白米を入れて炊いたおじや。 筋トレをする人がよく食べている食事で、 セメントという名前で呼ばれている。 これはかなり健康にはいい食事なのだと思うのだけれど、 低血糖症になってしまっているので、 恐らくは糖質、カロリー、脂質が足りていない。 今まで牛丼をつい食べたくなっていたのは、 エネルギーで脂質を体が求めていたからなのなもな。 (おいしいからでももちろんある笑) とはいえ、糖質の高いもの、例えば白米などを 大量に食べてしまうと、血糖値が急上昇してしまい、 血糖値スパイクを起こし、眠気や頭痛を引き起こし、 血管にも大きな負担をかけてしまう。 そのため、 血糖値スパイクを避けるため、 血糖値の急上昇を避けつつ、 カロリーを摂る方法を探る必要がある。 今のところ有力なのは、 血糖値の上昇が緩やかな食材((低GI食品)であるさつまいも。 こいつをどうにか料理で摂る方法を模索してみる。 また、朝起きるのは大変だけれど、 朝ごはんを食べないと1日の摂取カロリーを満たせないから、 必ず起きて朝食を食べることにした。 自分のために、食事を見直そう。 まずは、セメントは低血糖症対策にはいい食事だと思うから、 食べる量を単純にまず増やしてみる。 エネルギーも足りてないから さつまいものはちみつレモン煮を作り、食べみる。 その想定で週末、栄養素の計算をしてみよう。
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230914_最近感じる手足の痺れが気になり診察に行く

08月の20日頃から、手先の痺れがある。 それが、最近は、 手先の痺れは今のところ左手だけ 足先の痺れは両足共にでるようになってきた。 寝ても、朝起きても痺れが続くような時もある。 手を振ると一時的に手の痺れはなくなるし、 痛みとしては気になるレベルではないけれど、 何かの初期症状なのではないか、とても気になる。 食後によく、手足先にピリピリした痺れがくるんだよな。 手先と足先に痺れがあったら、糖尿病の可能性もあると聞いた。 甘いものは好きだけどそんな過剰には摂ってないと思うのよな。。。 熱中症の可能性もあるし、てんかんの可能性もあるのかな? そう考えて1ヶ月ほど過ごしていると、 肘手前までわずかに痺れの感がでてきて、 足先のしびれもたまに痛みに近い感覚にまで大きくなっていた。 これは先生に伝えなきゃだ、 そう思い、朝は仕事を休ませてもらい、 急遽主治医の先生の診察を受けることにした。 主治医の先生の見立てでは、両手足に同時に痺れが起きるのなら、 体全体の不調である可能性が高く、言葉のでづらさなども症状にあるのなら、 低血糖症の疑いが大きいと思う、とのことで、 念のため糖尿病の疑いもあるかもと、採血をすることになった。 食事で糖質が足りていない可能性があるから、 白いご飯の量を増やすなど、糖質を増やしてみて経過観察をすることになった。 10時頃には診察を終えたので、職場に戻る。 ああ、自分の体の不調で会社に迷惑をかけるの、もういやだな。 不調の多い僕を、雇いたくなんてなかっただろうな。 はずれくじを引いた、 社長はそう思っていたとしても言えないんだろうな。。。 どこに行っても、 どんなに努めても、 どれだけ準備しても、 僕は僕の体の不調によって、周りにいる関わる人に迷惑をかける。 それが、本当につらい。 仕事だってしたい。 人の迷惑にだってなりたくなんてない。 でもそうなってしまう。 それが、本当につらい。 改善するならばどんなことだってやってみせるのに、とそう思う。 ああー、会社に戻るの、怖いなー。 体調不良に厳しい会社の方がいるから、 どんな印象を持たれるか不安だな、と思う。 体が生まれつきつよい人って、 体が生まれつきよわい人に、 当たりが厳しい気がするんだよな。 体調管理がなってない、弱い!ハキハキしなさい!って。 たぶん多くの元気な人達より体調管理はしているし、 弱くいたいわけじゃないよ、僕も、とそう思う。 ポジティブな人って 生まれつき体が健康な人、 器用であったり容姿に自信が持ちやすい人、 そういう人が多い気がするな。 前を向きやすいその条件の人がさ、 前を向きにくいこの条件で生きている僕に、 どうして前を向かないの? と尋ねてきても、返答に困る。 いやこれでも相当頑張って前向いてます、て返したい。 まあそれでも、今までだったら通院すらしないで無理して出社していたと思うから、 これでもちょっとは進歩かな。自分のすこしの前進を認めておこう。
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230913_前向きに生きるため、発達障害だから「できない」のではなく「学習に時間と手間がかかる」と考える

発達障害だから「できない」 ではなく 発達障害だから「学習に時間と手間がかかる」 と、そう考えるようにしている。 発達障害がグラデーションであるならば、 自分の「できない」という限界がどこにあるかの判断も、 自分ではできないものなのだと思う。 だから、 自分が動けるよう、 自身に希望と期待を与えていく。 僕は失感情症があり、自分の感情を掴むことに難があるが、 感情も後天的に学習することができる、とそう信じている。 感情のタグ付けというトレーニングを続けることで、 以前に比べたら自分の感情も掴めてきたし、 自分の感情が掴めると、相手の感情が読める場面も出てきた。 僕は、できないわけじゃあない。 人より苦しいし大変なのだけれど、 僕も経験を積むことはできる。 僕の毎日は無駄ではない。 そう、自分に言い聞かせて続ける。 すこしの無理をして、前を向く。
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230913_サプリでマグネシウムを摂ることに決めた

マグネシウムが不足すると起きることに、 ・集中力の低下 ・不眠・眠りの浅さ ・まぶたのピクピク ・気分の落ち込み ・手足のしびれ ・甘いものを欲する ・足がつりやすい ・頻発する頭痛 というのがあると知り、 これ、ほとんど僕に当てはまる症状なのだが、 と思い、マグネシウムのサプリを摂ることにした。 まぶたのピクピクをどうにかしたい、 というのが最近の困りではあったので、 それに期待をしている。 また、twitterで同じ当事者でフォロワーの方の中には、 まぶたのピクピクは長年のベンゾジアゼピン系の薬の蓄積が多過ぎて起こる中毒症状である場合もあり、 ベンゾジアゼピン系の薬を止めたらすぐに治まった、という人もいるみたい。 僕の主治医の先生は、コンサータによりチックの症状が悪化する場合もある、と言っていた。 服薬している薬の副作用の場合もあるので、主治医の方に症状をお伝えし相談するのもよいのかもしれない。
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230913_発達障害当事者でない人が言う「彼はASD(もしくはADHD)だ」という言葉への違和感

発達障害当事者でない人が言う「彼はASD(もしくはADHD)だ」 という言葉に違和感を覚えることがある。 もちろん、その言葉を使う人の誰もがそんな意味合いでつかってるとは思わないのだけれど、 「彼はASD(もしくはADHD)だ」という時に、 「彼は私たち(人)とは違う発達障害者(という生き物)です。」 と、そのような意味合いで使われている人がいるように感じることがあり、 ひどく傷ついたりしている。 彼は私たちとは違うから、理解できない存在である、 そのような意味合いで使われているように感じ、傷つくことがある。 これは僕自身の自己認識の仕方についてだけれど、 僕がASD(もしくはADHD)である、 というのではなく、 僕はASD(もしくはADHD)を抱えている、 と、そのように自分のことを考えている。 発達障害者であるという以前に、 発達障害を抱えている、みんなと同じ人であるので。 あえて言うことではないのかもしれないのだけれど、 でもあえて言いたくなったり、意図を確認したくなってしまう、 そんな場合があったりする。 ASDやADHDなど、 発達障害はその人が持つ障害のはずなのに、 その人自身が障害そのものとみなされるのは違和感がある、という感じ。 骨折した人を見ても、あの人は骨折をしている、となるはずで、あの人は骨折者だとはみなされない。 けれども、ASD(もしくはADHD)を抱えている場合は、 「彼はASD(もしくはADHD)だ」という文章が用いられる、ことに違和感を覚える。 ASDは僕の一部に過ぎなくて、 他の障害についての話をする時には使われない言葉の使われ方を、 発達障害に関しては、よくされているように感じる。 そういう言葉を、私たちとは違う生き物だ、という意図で使う人を目にする時、 発達障害についての理解はなかなか得られないんだろうなー、とふと悲しくなる。 もちろん中には、「彼はASD(もしくはADHDの特性のある人)」の様に()内を略して用いる、 あくまで日本語の文章を省略する癖でしかない場合が多いし、 僕もそのような省略をすることがないわけではない。 ただ、人として認識していないような、悲しい使われ方をしている場面を目にすることがあり、 正しい言葉へのつよいこだわり、で言いたくなったわけでもなくて、 僕はそんな場面で、自分に対しての言葉でなかったとしても、とても傷つく。そんなことが、しばしばある。 ただそれだけのことで。
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230426_失感情症はきっと改善する、僕なりの根拠

昨日は職場での会話が楽しかったはずで、 でも今は、その気持ちも朝は思い出せず。。。 母にそのことを相談すると、昨日の感情の記録を読み返して見たら? と言われ、読み返してみると、確かに楽しかったことと嬉しかった感情を思い出す。 なぜなのだろう、感情が感じ取れない、 自分の感情が遠い感じがする。 近くに感じる日もあれば、 遠くに感じる日もあって、 遠くに感じる日は、 今までつけてきた感情の記録を読み直す、 ことにしてみる。 感情とその時のエピソードを追体験して、 どんな影響があるか、ひとまず試してみる。 僕の特性は 「感情を感じることができない」ではなく 「感情の学習に時間がかかる」といったものかもしれない 丁寧に学習した結果、感じ取れるようになるかもしれない。 そう信じてはじめてみることにした。 なぜそう信じることができるのか、 それには一応の根拠が、僕なりにはある。 僕は大学生の頃まで、感情だけでなく、 暑いや寒い、痛いの感覚すらを感じることが難しかった。 電車の中で汗をダラダラかいてて、 周りにいた人から、上着脱げば?と言われたり、 寒いのに半袖で過ごしてて、 寒くないの?と聞かれて分からず、え?と返してた。 それぐらいに暑さや寒さの感覚がなかった。 そのことをカウンセラーさんに相談をすると、 感覚が遠い、その原因は、感覚に名前をつけられていないから、 なのかもしれないよ、と、そういう見立てをもらった。 人は、名前をつけることでより細やかな認識をすることができる、 そういう内容をいつかどこかの本で、確かに見たことがあるなー、と思い出した。 例えば、「緑」という言葉を持たない民族は、「緑」色を認識することができず、青色も緑色も「青」色だと認識してしまうけれど、 日本のように青色に色んな名前をつける文化の元で育つと、 「水色」や「藍色」など、多種の青色の中にある細やかな差も感じることができるようになる、という内容だったかと思う。 カウンセラーさんによれば、 僕は小学生の高学年の頃から緘黙症を抱えていたから、 自分が暑いと感じた時に、「暑いねー」と人に話をしたり、 自分が寒いと感じた時に、「寒いねー」と人に話をしたり、 そういう経験をしていないため、自分の感覚に名前をつけることができていいない、 その可能性があるんじゃないか、そう指摘をしてくれた。 その指摘をもらってから、 汗をかいて、恐らく暑いのだろう、と感じた時に、「暑いなー」と自分に言い聞かせる。 薄着で体が震えた時に、「寒いなー」と自分に言い聞かせる。 そうしたことを1年間、毎日毎日やり続けることで、 今は意識をしなくても、暑さや寒さを感じることができるようになっている。 痛みの鈍感さについても同様に、痛みと思われる感覚を覚えた時に、「痛いなー」と自分に言い聞かせることで、この感覚が「痛み」だ、自分に覚えさせていき、まだ痛みには鈍感ながらも感じることができるようになっている 全く感じることのできなかった暑さや寒さ、痛みの感覚を「後天的」に「学習」した僕は、 感情の感じづらさも「後天的」に「学習」できるのではないか、とそう信じている。 感覚に言葉を当てはめていく作業を、 感情に対してはやってこなかったので、 まだ感情を感じづらいのかもしれないな、とそう思った。 感情ややりたいこと、楽しいことも感じることができるようになるのかな、 そうなったら嬉しいし、信じないと僕は動けなくなるから、まず、信じてみることにする。 そうして、感情のタグ付けを続けている。 最近、自分の感情にすこし気づきはじめたからか、 相手が何を思ってるのか無意識に推測するようにもなっている気がする。 そして、そのズレも少なくなったように思う。 今までは自分の感情から類推、という手がかりすらもなく 当てずっぽうで相手の感情を当てに行ってたんだろうな、きっと。 そして、冗談もすこしは言えるようになった。 前はおもしろいことを言おうとして、周りをキョトンとさせていたりしたのたけれど、 最近は冗談を言ったら会社の人が笑ってくれる、 という経験をした。 そんな風にスムーズに、意図とズレてない反応もらったことは、今までなかったからとても驚いた。 そんな経験があったから、 自分の感情を掴むことは、 相手の感情を推測する材料になるのかもな、と最近思う 感情にタグ付けをしていくと、 あまり何も考えずに、冗談を言える場面もできてきている 「発達障害」だから「できない」のではなく、 「僕」は「この作業」の「学習に時間がかかる」と考えた方がまだ期待を持って動ける 今まで僕は、 自分の感情に気づかないまま人と会う機会ばかり増やして、 自分で自分に気づけないから当然自己表現もうまくできず、 人からも、主張がない自分がないやつだ、と思われて、 その失敗体験を重ねてきたのだと思う。 だからまずは人のことは置いておいて、 内省して自分の感情を自分の言葉で整理する。 話す技術とか表現は後回しで、まずは自分を理解する そうすると、 相手のことも自然と興味が持てたり、 相手もそういう気持ちなのかも?と自分の感情を根拠に類推するので、 大きなハズレは無くなってくるのだと思う。 そのためにもまずは、自分の感情を理解しよう。 だからこそ僕はまず、感情は学習できるのだと信じよう。 感覚を学習できた僕なのだから、きっと感情も学習できる。
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230912_睡眠が足りない日にはコンサータが効かない、気がする

前日は、仕事が21時前まで続き、体力もヘトヘトなまま帰宅をした。 ヘトヘトなまま、床に座り込むと、重力が増えたような感覚を覚えるほどに体が以上に重く、 頭もなんだかフラフラとしていて、立てなくなってしまい、 シャワーも浴びれず夕飯も食べれないまま、23時を過ぎてしまい、 寝つきもわるく、寝るのは深夜の1時を超えてしまった。 寝つきがわるい時、つい起きて何か行動したりしてしまうけれど、 昨日は無理に寝ようとも考えず、 目をつむり寝転んでいるだけで体は休められる、 そう言い聞かせて、寝なくてもいいから寝転んでいよう、 と考えそのようにしていたら、眠りにつくことができた。 この感覚は、収穫だ。 寝るのを諦めたら寝ることができる。 ただ、やはり睡眠時間が短いことには変わりがない。 コンサータの危機がわるく、 16時くらいから集中が難しく、言葉もまとまりづらくなる感覚を覚えてくる。 やはり、コンサータ2粒を朝にまとめて飲むのではなく、 コンサータを1粒めは朝食後 コンサータの2粒めは10時頃 に時間差で飲む習慣に戻そうと思う。 時間差で飲むことで、効果時間を延ばすことができると主治医に教えてもらっているので、 眠りの浅い日には特にそのようにしようと思う。 ただ、 よく寝れた日に飲むコンサータの方が、効きがいい感覚があり、 つらさもなく、シンプルに目も醒めて寝起きもいい感覚がある。 だから、脳内の多動を鎮めるためにも、 飲んでいる薬の効果を最大限に受けるためにも、 やはり睡眠は大切にしよう、とそう思う。